この記事の元のタイトルは、「[グループセラピー]大泣きし、人生が開けた湘南ワークショップの体験レポート」でした。
湘南ワークショップとは?
2017年6月16日(金)~18日(日)に、湘南国際村センターで行われたワークショップで、今回の講師陣は、岡部明美さん、立花岳志さん、大塚彩子さんでした。
・湘南ワークショップ詳細ページ
・岡部明美 アナテース公式サイト
・No Second Life(立花岳志さんのブログ)
・自分にOKを出して前に進む! | カウンセラー/音楽療法士・大塚彩子公式ブログ
ワークショップとは言うものの、その内容はグループセラピーに近いです。
集まった20名の参加者の中から、自己申請もしくは講師に選ばれた人がみんなの前で個人セッションを受け、自分でも気がついていなかった深層心理部分に触れていくことで、今までの思い込みや、生き方の歪みを修正されていくという内容です。
「え、選ばれなかった人はどうなるの?」と思うかもしれませんが、安心してください。
「最も個人的な問題は、最も普遍的な問題である」
上記の言葉の通り、人の個人セッションを横から眺めるだけで、様々な学びがあります。
クライアント(セッションを受ける人)と参加者が同じ空間を共有し、クライアントがセラピストの助けを得て素の感情で驚き、怒り、泣いている姿を見て、見ているだけの参加者もクライアントと同じように驚き、怒り、泣いてしまうのです。
実際、他人のセッションを見ているだけなのに、周りはボロボロと大泣きしているのです。
実はありがたいことに、僕は2回も個人セッションの場をいただいたのですが、「こんな個人的な話に付き合ってもらっていいのだろうか・・・」と申し訳なく思っていたのに、終わってみると「すごくわかった」と大泣きしている人が何人も居たり、逆に「あなたはこういうクセがある人ですね」と意見をもらえたりするので、参加者全員が自分であったり、先生であったりする不思議な空間が形成されていました。
あ、ちなみに僕もセラピストの方とセッションをしているうちに泣いてしまいました(笑)
ぼくが「うつ」になったのは、生き方の歪みに対する体(感性)からの警告
今回のワークショップを受講することで、ぼくの仮説は確信にたどり着きました。
それは「自分は子供のころから誰かの期待に応えるために生きてきた人生だった。だから燃え尽きてうつになった。」ということです。
そもそもぼくがこのワークショップに参加したのは、自分でがんばって内省し続けた結果、
「ぼくのうつの原因は、仕事が激務だったとか、現在の家庭環境の複雑さ、とは違った原因なのではないか?」
と思い至ったからです。そのときの想いを書き出した記事はこちらです。
「もう自分だけの力では、『14歳から全力で走り続けたから燃え尽きた』という仮説を検証することができない。」
そう思ったときに、湘南で、以前から気になっていた岡部明美さんのワークショップが開催される。しかもたちさん、彩さんが主催者側にいる。それがわかった瞬間。即座にワークショップに申込みました。
このワークショップの参加費は10万円です。ここまで思い詰めていなければ、場所が湘南でなければ、主催者に岳志くん、彩ちゃんがいなければ、ぼくは参加していたかわかりません。それぐらい運命的なタイミングでした。
このワークショップで僕が得たもの
ぼくは天才ではなく、天才を演じていた
ぼくは子供の頃から自分が才能ある人間だと信じて疑わなかったし、実際に結果を出し続けてきた。何をやってもうまくいくと思っていた。
だからその反面で、「自分が弱音を吐くことは許されない」「ぼくは完璧なヒーローであり続けることが求められている」そう思っていて、実際に窮地に立たされたときは、誰にも悩みを相談できずに本当に苦しかった。
「大丈夫?」と聞かれたら、「大丈夫です!」と笑顔で答え、グループで何か困ったことが起きれば、「『俺が』なんとかします」と一人で全て解決してしまう人間だった。
でも、だからこそ今、人生が行き詰まってしまった。
うつを発症してからも、「何も考えられない、やる気が出ない、体が動かない、苦しい、でも誰にも助けてなんて言えない。」
その一心で、自分で本を読み漁り、心療内科に通いながらも、「俺の力で」うつを克服してやろうと必死になっていた。だからいつまでも症状が改善しなかった。
セッションや懇親会を通じて、印象に残った言葉が3つある。これらのおかげで「ぼくはもうがんばらなくてもいい。ありのままで価値があるんだ。」と心の底から思えた。
「天才がミスをすると、『天才でもミスをするんだ!』と他の人が安心して行動するきっかけになる(=失敗してもあなたに価値はある)」
「天才が一人存在すると、他の人の強みを全て潰してしまう。」
「一人でできることには限界がある。だから、他の人を活かすことで大きなことを達成できる。活人力(かつじんりょく)が大事。」
ぼくの心は子供のころに傷を負っていた
OK、ぼくは天才ではなかった。認めよう。でもどうしてぼくは天才であり続ける必要があったのだろう?
それはぼくの生い立ちにあった。
ぼくの父は元々企業に努めていたが、事情によりその企業を止め、実家で服飾店を営むことになった。そして、借金の保証人として友人の借金を肩代わりし、自宅と店を失った。
その頃から父はアルコールに溺れるようになり、働かなくなった。そして母は、ぼくと妹を連れて家を飛び出し、最終的に父と母は離婚した。
ぼくはこの頃の記憶がほとんどない。今思えば、あまりに苦しかったので、記憶を封印してしまったのだろうと予想がつく。
小さいぼくは、一人で暮らしている父のところに頻繁に遊びにでかけ、一方で母親に対しては常に手のかからない良い子であろうとしていた。長男だから、妹を泣かせることもしたくないと思っていた。
無意識のうちに、父も母も妹も、『ぼくが』助けようとしてがんばっていたのだ。
「家庭は子供が一番最初に接する社会である。」
だから、子供のころの生き方は、思春期になっても、成人して社会に出てもそのまま反映されてしまう。
「良い子じゃない自分に価値はない。」
「がんばらない自分には価値がない。」
「周りを喜ばせられない自分に価値はない。」
そう思い続けて、天才のふりをして32歳まで生きてきた。そして燃え尽きた、といったところのようだ。
ぼくはこれからどうすればいいのか?
ぼくは天才じゃなかったし、もう天才をやめていい。ありのままの自分で価値がある。
でも、これからどうしたらいいんだろう?その答えもワークショップを通じてわかった。
「好きなこと、やりたいことだけをやる」
「『自分が』何もしなくてもよいことを実感する」
「とにかく心と身体をゆるめ、休ませる」
「失敗もだらしなさも含めて、ありのままの自分を見せる。」
「苦しいときは『助けて!』と叫ぶ」
最後に
実は、今回のグループセラピーとほとんど似た内容をある本で読んだことがある。本田健さんの著書「ユダヤ人大富豪の教えIII 人間関係を築く8つのレッスン (だいわ文庫)」だ。本を読んだときでさえ感動した内容なのに、実際に体験してみると、その凄さが一瞬で体感できた。
まさに、「百聞は一見にしかず」である。
10万円という金額が本当に小さく感じるぐらい、貴重な体験だったと心の底から言える。
そして、本当に勇気づけられる言葉を今回のセミナーでいただいた。
「人間は理性5%、感性95%の力で生きている。今まで理性5%の力でこんなに大きな成果を出してきたあなたなら、感性の扉が開けばとんでもない伸びしろが期待できる。」
「32歳でエッジ(人生のどんづまり・燃え尽き)を迎えるのはものすごく早い。だいたいの人は40~50歳前後で迎えることが多い。その意味で、すごく将来性が期待できる。」
もちろんぼくはこの期待に添えるようがんばる必要はない。でも、そう言われると、きっとそうなる気がして、これからの自分の人生に対してワクワクが止まらない。
↑の記事で、ぼくは32歳で気がついたことを悲観して涙していたけど、今は逆だ。32歳は遅くない。ぼくの次のステージはこれからなんだ。