ひたすら自分に問う
私は何となくやる気がでないとき「なぜやる気がでないんだろう?」と自分に問い続けます。
「なぜやる気が出ないんだろう?」
「○○だから?」
「じゃあこうすればどうだろう?」
「何か違う気がする」
「なぜやる気がでないんだろう?」
「こういう理由だからかな?」
「それは仕方ないね。」
「なぜやる気が出ないんだろう?」
やる気というのはだいたい何かにくじかれているものです。私たちのやる気はいつも勢いが違います。勢いが強ければ多少の障害があっても押し流しますが、勢いが弱ければちょっとした障害で止まります。
2つのやる気の出し方
やる気の出し方(通し方)は大きく2つに分けられると考えます。
(1)やる気の勢い自体を高める方法。
(2)やる気をくじいているものを除く方法。
やる気の勢いを高める方法は、精神論であったり、ある種のトリガーを必要としたりするので、効かないときは効かないものだと思っています。
有るものでどうにかする
私は「くじいているもの」を除く方法のほうが好きです。これは「無いものはしょうがないので、有るものでどうにかする」という考え方を私が好んでいるからです。
なぜやる気がでないんだろうと自分に問い続ける行為は「くじいているもの」を探しているのです。なぜやる気がでないのか問い続ければ、何かしらどうにかできそうな「くじいているもの」が見つかります。見つけることさえできれば、後はそれを除いてやれば良いだけです。
除けないなら削りとる
ときには簡単に除けそうにない「くじいているもの」しか見当たらないときもあります。昔の自分でしたら、こういうときはただうだうだしながらやる気の勢いが増してくるのを待ったものですが、今は違います。少しずつ削りとるのです。
少しずつ削りとるというのは、タスクの細分化です。もう本当に細かく細かくします。最近の@goryugoさんのシゴタノ!の記事の「ToDoリスト」みたいな感じです。
シゴタノ! ― いちいちToDoリストを作る事の意味が少しわかった
例えば蜜柑の皮向き
みかんを渡されて「食べなさい」と言われる。迷いなく食べ始める人もいるでしょうが、何となくすぐには食べ始められない人もいる。タスクを細分化していくというのはみかんを食べるときに似ている気がする。
手が汚れそうだ。ティッシュを用意しよう。皮がゴミになる。ゴミ箱を持ってこよう。さぁみかんだ。
とりあえずみかんに指をさす。2つに割る。そのうちの1つを手に取る。皮を少しむく。皮が途中で千切れることもある。また皮をむく。皮をむく。やがて皮が無くなる。
みかんを1粒ずつに分解する。みかんの白い筋が気になる。白い筋を1本ずつはがしていく。1本ずつはがしていく。きれいなみかんになった。ここでやっと食べる。
「手が汚れそう」「ゴミが出る」「皮むき」「気になる白い筋」…みかんに含まれている様々な「障害」を1つ1つ明らかにし、手を打てるものは手を打っていく。そうしてもう「あとは食べるだけ」としかいいようのないみかんにしてから、やっと手をつける。
精神論とかやる気を出すためのツールみたいなものは、みかんをむいてくれるおかんみたいなもんだと思います。気まぐれでおかんがむいてくれなければ自分でむくしかない。
まとめ
・何がやる気の障害になっているのか、自分に問い続ける。
・障害になっているものを細分化し、対処する。
・あとは「やる」しかなくなったら手をつける。
合わせて読む
化学系メーカー研究職です [Lifehack]脳科学×仕事術によるやる気の出し方
編集後記
削りとる行為で消費する時間がもったいないって思うこともあると思いますが、うだうだしてるぐらいなら手を動かしているほうがましだと私は思います。それに、次に同じような状態になったときには細分化した記録が役に立ちます。